2006年
新規巻き返し


↑2006年4月
まだチャリままやってます  もう危ないって・・・。

↓下からはじまる

10月
ゴマがこんなに大きくなりました。
相変わらず吠えないけど、プライドは高いです。
絶対に お腹を見せて寝ころびません。
甘噛みのくせも直りません。
この写真見てると、やっぱり血統証!って感じがするなぁ。
頭はすごくいいんだけど。今ひとつ、心を開けない感じが。
あ、私も開いてないのか(^^;


15日。とうとうれいの発表会です。
舞台に上がるまでは、ものすごく緊張していたれいですが、
立ち止まることなく、無事終了。
(いや、エレクトーンの場合 リズムが進んじゃうから立ち止まれないんですが。)
帰ってきてみたら、全然緊張しなかったとか。
やっぱり 初舞台はそうなんだね。
来年からが大変だ。
でも、本当によくがんばったと思う。
私が経験者だから、練習も結構厳しいし。
同じ所を間違えて 泣きながら練習した時もあるし。
ただ、本当に 練習量がものを言うんだよね。
10しか練習しなければ、1しか弾けないかも知れない。
でも、100練習すれば、50弾けるかも。
それが舞台ってもんだ。
これからの課題。楽譜を読めるようになること。
いや、耳で覚えて弾いてたもんで(^^;。
次は、4月に向けてグレードテストの準備です。


9月
来月、れいがエレクトーンを始めて1年。
15日に発表会を控え、もし毎日練習したらエレクトーンをレンタルするよ、と約束していました。
丁度1ヶ月前の15日に、ミニは届きました。
なんだかハイテクメカになったよなぁ、エレクトーンも。
私は、まだレバーの時代だったから。
教室がボタンで。フロッピーとかなかったから、
曲の中で 手動で音を切り替えるのを練習したっけなぁ。
この機械は、スマートメディアに音が録音してあって、
リズムを付けると、部分部分で自動的に音が切り替わっていくのです。
れいが初めての発表会に選んだ曲は「バッハのメヌエット」。
・・・・・しぶい。
しかも、級なしのれいにとっては かなり難しい曲なのです。
私は、発表会といえば 背伸びするものだと思っていたので気にしなかったのですが、
先生は 両手で弾けるようになるまで眠れなかったらしい(^^;。
ごめん先生。難しい曲選んじゃって。
でも、初めてで舞台の怖さを知らないせいか、
よく背伸びしてがんばりました。

8月
ゴマが来た!
6日。とうとうだんなが実行。
家族で墓参りに行っている隙に。
前日までおばあちゃんに根回しをして、
猫部屋(物置の2階)にケージを置かせてもらえるようにしたのです。
墓参りから帰ったお父さんとお母さんを、
「こりゃ もごい(かわいい)こと」と出迎えるおばあちゃん。
すでに猫部屋には ゴマがいました。
ゴマ。ブリーダーさんのところにいる頃から おとなしくて全然吠えません。
絶句するお母さんに、おばあちゃんが飼いたいのなら飼わせろと説得。
うちらは、柴がいかに 病気に強くて手がかからないか
吠えない犬種であるかを力説。
今さら返してこいとも言えないお母さん。
でも、毎日見ているうちに だんだんかわいくなってきたよう。
お父さんも やっぱりかわいいみたい。
強行突破でしたが、見事 だんなの目論見通り
犬を飼うことは 事後承諾ながら許されたのでした。


11日。
なんと、6連休を取って帰省。
後にこの連休が、社内で波紋を呼ぶことに・・・。
前の帰りで 親父に散々怒られたので、今回は先制パンチ。
「私、この前 怒られに帰ったみたいだよ。たまには昔みたいに歴史の話とかしたいよ。」
母いわく。前回は会話に余裕がなかったけど、今回は余裕がある。体調がいいみたいね。
そうみたい。
薬の種類が減ったことを伝えると 親父はとても喜んでくれました。
でも。
酒に依存するのはよろしくなくて。たばこに依存するのはいいの?
酒にもたばこにも依存している人に、薬に依存するなと説教されるのは ちょっと変。
いや、理屈では分かるんだけどさ。

そういうわけで。
12日。姪っ子の命日に、姉貴と甥っ子と墓参りをすることができました。
久しぶりに来れて良かった。
・・・・・あれ?姉貴って、離婚したんでなかったの?
元だんなさんも一緒でした。
13日。その元だんなさんに うちの子たちも預けて、また友人とおしゃべりに。
私も人のこと言えない。

14日は、親父と 子供たちを連れて市の交通公園へ。
でも。電気自動車。
今時(10円玉で)80円って、何?
しかも、両替えを渋る窓口の係員。
まぁ、すぐに飽きてくれたので良かったです。
ゴーカートに乗ってから帰りました。

15日。今日は母と姉貴と子供たちと、幕張の大恐竜展へ。
しょーごは恐竜が大の大好き。
前から楽しみにしてました。
けれども、首長竜がメインで、確かにすごく大きかったけれども
しょーごの大好きなティラノサウルスはいませんでした。
ちょっとがっかりのしょーご。
でも、お土産に卵形望遠鏡を買ってあげたら喜んでました。
れいは、大きい骨を見られて満足気。
帰りは座って各駅停車で。
さすがに疲れた。
翌日は、早い汽車で帰りました。
なかなか中身の濃い旅でした。

ほとんど勉強を見てやれなかった夏休み。
れいはプチトマトを。しょーごはアサガオを育てました。
・・・・・って、ほとんどおじいちゃんが水あげてますよ?
れいは、収穫したトマトでサラダを作りました。
きゅうりを切って。レタスをちぎって。ハムを切って。
とってもおいしかったよ。
・・・・・おじいちゃん、食べなよ#
れいが作ったんだよって言ってるのに。
酔っぱらって「おれ、サラダいらねぇから」って・・。しょうがない。
夏休みの最後は、例年通り 日記書きでした。


薪置き場になっていたビニールハウスを撤去して、ついにゴマ小屋完成。
でも、ちょっとずつ慣らしていかないといけないので、
ゴマの小屋入りはまだ先です。

7月
犬を飼おう!計画始動。
だんなとブリーダーさんの家に通い始めました。
そもそもの切っ掛けは、私の自傷未遂にありました。
部屋でカッターを眺めているところを発見され、その場で没収。
だんなも真剣に悩んでいて、動物セラピーに思い至ったとか。
自分も犬が無性に欲しかったのだそうです。
当然のことながら、犬を飼ったことのない家人は猛反発。
おばあちゃんは猫派。
お父さんは、「庭でうんこ垂らして汚いべした!(だろう)」
お母さんは、「臭いし吠えてうるさいから嫌。」
私は ちょっぴり心が動いたけれども、ほとんどあきらめていました。
けれども、その時は知りもしませんでした。その猛反発が だんなの心に火を付けていたとは。
彼は後に我が家に迎え入れられ、ゴマと名付けられます。(いや、正確にはこの時既に名前は決まっていました(^^;)
ただいま生後1ヶ月の黒柴です。

29日に、家族(6人)でディズニーシーに行きました。
朝2時に起きて、おにぎり持ってドライブゴー。
子供たちは 興奮して車の中で寝ませんでした。
前日までに、HPを見ながらその日の計画を立てるのが だんなの趣味。
計画通り、6時に到着。
7時から受付けに交代で並びながら、門の前で場所取り。
開館時間に、キャラクターたちが挨拶をするのを初めて見ました。
普段はディズニー嫌いの私。でも、気が付いたら 帽子にあのネズミマークが!!
「いいねぇ。ベタだねぇ。」とご満悦のだんな。
こうなったら、楽しむしかない。
前から3列目くらいに並んでいたものの、写真を撮りながら悠々と歩く。
左右を駆け足の人々が通り過ぎて行く。
なんだか気分がいい。
ファストパス(予約)を取りながら見るから、行ったり来たりになるので、
お父さんやお母さんと相談しながら歩く。
意外や意外。お父さんもお母さんも、全部私たちにつきあってくれた。
ちょっとしたジェットコースターやらコーヒーカップのようなものやら。
最初にアラジンの立体映画を見て、屋内でちょっと遊んでからスチームライダー。
れいは元より絶叫好きだから、何でも乗ってみたい。
でも、しょーごはちょっと恐い。
私も結構恐い。
貝のコーヒーカップなんか、お母さんとしょーごと3人で固まって乗ったから、
回転し過ぎて とんでもないことになってしまった。
そして、予約していたバイキングレストランに。
お昼よりだいぶ早かったから空いていた。
のんびりと食事ができた。
出たら、丁度火山の時間。ものすごい地響き。
しょーごは半泣きで、恐い 恐いと言う。
その後、バスやら汽車やら船やらに乗って、最後にとっておき。
「センター・オブ・ジ・アース」。
これは、子供たちにとっては身長制限ぎりぎりの絶叫コースター。
私たち。これを乗るために来たんだよね。
しょーごがしきりと、「これ、恐いの?恐くない?」と聞く。
大丈夫。大丈夫。ほら、同じくらいの小さい子もいるよ、などとごまかしながら登って行く。
実のところ、私も引き返したいくらい恐い。
(この先はネタばれのため、経験者のみお読み下さい。)
大きな遺体焼き場のようなエレベーターに乗って一気に下がる。
(が、実は下がっているのはほんの数メートルで、窓の画面だけが一気に上に動いて見えるのだ。)
不気味な効果音と不安をあおるアナウンス。でも、子供には意味が分からないようだ。
とうとう順番が来てしまった。
帰りたい。でも、しょーごの手をぎゅっと握る。
最前列になりそうだったので、慌ててだんな&れいに替わってもらう。
前だけはかんべんしてくれ。
そして、しょーごをなだめて右に乗せ 私も左に乗る。
予想に反して、最初はゆっくりと きれいな景色の中を巡る。
すると、だんだんと景色が不気味に変わっていく。
突如鳴り響く警報。
鳴り響く雷鳴。稲光は右側だ。
しょーごは硬直して声も出ない。
ダメ出しに、右側にサラマンダー(火の怪獣のようなもの)が出た。
巨体をくねらせながら、4回 物凄い声で吠えた。
しょーごは完全に引いている。
突然、列車は急速度で暗闇の中を走り出す。
私は、しょーごの手をにぎっていたから悲鳴を上げずに済んだ。
そして登り切ったその時。
山の外側に出て  

一気に崖目指して落下していった。

ぶつかると思った瞬間、列車は再び暗闇の中に潜り込む。
その時。
「うをーーーーーー!!」
しょーごが雄叫びを上げた。
「きゃぁ」でも「ぎゃぁ」でもなく、「うをーーーーーー!!」
恐いのにも関わらず、おかしくなってしまった。
その後、列車は急激に速度を落とし、再び屋外を通った後、無事に終着点にたどり着いた。

列車を降りた後、「よくがんばったねぇ」としょーごをねぎらってやると、
急にわんわん泣き出した。
ほっとしたのだろう。抱きしめてあげた。
係のお姉さんが「大丈夫?恐かったねぇ」と声をかけてくれる。
本当に、期待を裏切らない反応である。
後ろの老夫婦も笑っていた。
れいは、思った通り全然平気で。少し興奮気味に「すっごい楽しかったぁ!」と言った。
また乗りたいと言うので、それはかんべんしてもらった。
楽しかった。
お父さん、お母さんも楽しんでくれた。
たまには こうやってはじけるのもいいもんだ。
行って良かった。

6月
ようやく、れいが補助なしで自転車に乗れるようになりました。
競争意識も働いていたもよう。

5月
連休に実家に帰りました。
多摩川を渡って 多摩市の交通公園に行きました。
向こう岸から見た郵便局。高校卒業した頃アルバイトしてました。懐かしかったです。
久しぶりに、従兄弟の兄ちゃんに会いました。
父親がしきりと、私の視野が狭いと責めます。
仕事には慣れてきたものの、少し煮詰まってきて 具合が悪いことが多い今日この頃。
テレビも見なければ新聞も読まない。
加えて、他人のことがよく見えなくなるこの病気。
分かってはいても、どうすれば打開できるのかが分かりません。
父はいつもそう。
「悪い」とは言っても、「どうすれば」とは言ってくれません。
夜中まで説教され、帰ってきました。
その後体調を崩したため、家人に夜更かしをするからだと責められました。
何をしに帰ったのか・・・。

4月
私は、すぐそばのスーパーの中にある写真屋「パ○ットプラザ」にパート就職が決まりました。
9時〜2時で、週4日くらいから始めます。
 
ようやくしょーごが小学校に上がりました。
晴れて、二人仲良く登校です。
これで送り迎えから解放されました。
上の写真。入学式の時の方が3年生くらいに見える(^^;。
やっぱり1年生は黄色い帽子じゃないと。
でも。入学って大変です。
昨年もそうだったのだけど、学用品の名前付けが尋常でないのです。
特に算数セット。
数字カード1枚1枚。算数用のお金1つ1つ。計棒1本1本に至るまで、
全てに名前を書かされます。
とりあえずテプラを使ったけど、それでも大変な労力で。
やはり今年も前日徹夜となりました。
一応、1週間前くらいから始めてはいたのですが。
・・・追い込まれないと行動できないタチでして。

そういえば。
前日に、ランドセルを背負って れいも連れていつもの時間に学校まで歩かせたら。
雨で長靴だったせいか、途中で音を上げてましたっけ。
これでちゃんと 登校班に付いていけるのかと心配になったものです。

心配と言えば。
友達ができるかどうか不安だったのですが。
入学式の時には 隣の友達と和気あいあい。
次の日には、帰ってくるなり 「お母さん!!○○君ちに遊びに行ってもいい??」
・・・・・あぜん。
学校に入るなり、そんなに豹変するとは思ってもみなかったよ。
以来、学校では 毎日友達が増えて楽しくて仕方ないようです。
れいは、「お姉ちゃん」という自覚が芽生えたよう。
休み時間や登下校の時も、一生懸命気に掛けているようです。
えらい。

桜が今年も長い期間咲きました。
この日は、3つの公園をハシゴさせられました(泣)。
しかも、チャリで。
あんまり重たいので、途中歩かせました。
それにしても良い笑顔。ほっとします。

3月
 
しょーごが、最後の一人になって ようやく縄跳びが跳べるようになりました。
鉄棒の前回りは早かったのですが。
これは、20回跳んだ時の写真です。
おまけに、自転車が補助なしで乗れるようになりました。
れいはまだ補助輪です。
縄跳びの頑張りようは、卒園の時に先生がしきりに褒めてくれました。
「できるのは偉いけど、できなくてもがんばってできるようになるのはもっと偉いよ」、と。
最近しょーごは、折り紙もきちんと折れるようになってきました。
大好きなクワガタだけだけど(^^;。
それでもたいした進歩だ。
誕生日には、外食に行きました。ようやく6才。
あと数日遅ければ、もう1年保育園だったんだなぁ。
なんだか、可哀想なような 助かったような。

2月
節分を待って、一人で本厄のお祓いをしに行きました。
そこの神社。作法が2礼4拍手なのです。
4拍手は、出雲大社と宇佐神宮にしかなく、とても珍しいのです。
しかも、祭神が「言代主」又は「長沙彦」。
コトシロヌシは、出雲の大国主の嫡子。
ナガサヒコは北九州あたりの国神で、最初に天神に敗れてしまう神です。
敗れてしまうのに、名前の前に大層な冠詞が付いているので興味を持っていました。
次いで博多の猿田彦が敗れ。その後、勢いづいた天神は 出雲に攻めて来るのですが。
そのあたりのことを聞こうと思ったら、何か違うのです。
4拍手なのは、山の方に大きな磐があって そこに4列石あるからだとか。
(出雲大社とは関係ないそうです。)
それが、300万年くらい前のものだと神主さんは言い始めました。
古事記は「コトダマ」で書かれており、大昔 ムー大陸があった頃は、世界中がその言葉を話していたとか。
それでは1神教のキリスト教や仏教と変わりないと怒ったら、
神道は宗教ではないと逆に憤慨されてしまいました。
その後は一応謝り、大人しく教義を聞いていたのですが。
もしかして右の方ではないかと、ちょっぴり引きました。
その説を唱えた人は昭和初期の方らしいので、国砕主義の国学者らしい思想だなぁと思いました。
日が経ってからも詳しく聞いたのですが。
4拍手も、教義も、神主さんが自動書記で神さまから聞いた話だということが分かったのです。
どうやら、長沙彦は関係なかったらしい。
国神と天神とで戦争をしたことはどう解釈しているのだろう。
大国主と天照大神を同時に祭ることには ちょっと腹を立ててしまう
自称大国主ファンの私でした。
いや。お祓いはちゃんとしてもらいましたとも。
それに、神社はちゃんと神域だし、神さまもちゃんといるのが私にも分かる。
でも、神さまに名前をつけるのは人間だと思う。
ましてや、系統立てるなんておこがましい。
私が知りたいのは人間の歴史であって、誰かの感じた神さまの歴史ではないので。
以後、ここで話を聞くのはやめようと思った次第です。


1月
だんなは、夏に一度職を替え アイスクリーム屋で働いていましたが、
また辞めて、今度は 最初に働いていた会社の鹿島工場で働き始めました。
ダムや大きなビルなどの電気配線や盤を造る会社です。
前は営業が合わなくて辞めたのですが、今度は工場の検品の仕事のようです。

私は、職を探し始めましたが しょーごがまだ保育所のため、面接止まりです。

1月4日。れいの誕生日。
よく覚えていないのですが、本人いわく 風邪を引いていてつまらなかったとのこと。
治ってから外食ぐらいはしたと思うのですが・・・。

れい:7才
コメント 遠くの友達と、思うように遊べない日々です。
1年生だというのに、毎日宿題が山のように出ます。
それでも、エレクトーンをがんばっています。
最近ようやく、お母さんとの二人漫才に調子がでてきたようです。
でも、おじいちゃんは大嫌い。
・・・・・困ったねぇ。

しょーご:5才9ヶ月
コメント 保育所にもだいぶ慣れてきました。
・・・なんて言う間にもう卒園ですが。
それにしても、こちらは体格の大きい子が多い。
前の保育所では一番大きい方だったのに、
こちらでは真ん中辺です。
まだ滑舌が悪くて 時々何を言っているのか分からなくなりますが。
それを言ったら。「あんたも滑舌悪い」と姉に言われてしまいました(^^;

2005年
転機

↓下からはじまる

11月
れいは、あと2ヶ月で7才。しょーごは満5才です。
そこで、二人合わせて七五三をすることにしました。
東京から 両親も来てくれました。
実はこの写真。次の年の秋に、撮影してくれた写真館で飾られることになるのです。
その写真館の息子と だんなが同級生だということもあったのですが。
親バカですが、写真屋で撮ったとは思えない笑顔です。
普通はお澄ましなのに。
近くの神社でお参りをして、夕方から親戚を交えて食事に行って。
まだ行事に慣れず、気疲れはしましたが、良い七五三でした。
れいは、約束通り、七五三が終わった後 髪を切りました。
さっぱり。

11月末に 高校の部活の同窓会があり、
1泊で東京に行き、少し顰蹙を買いました。
でも、楽しかった。
なぜかその時 とても元気で、なんとかカラオケさえしのげるほどでした。
出費が嵩んだので、年末年始は実家に帰りませんでした。

それにしても 福島は寒いです。
福島には、浜通り・中通り・会津という3つの気候帯があります。
会津は豪雪地帯ですが、ここ浜通りは東京とほとんど変わらず 雪はあまり降りません。
それでも寒いことに変わりはないですが。
こちらは、薪で燃す「湯○人」という、変わった家です。
その薪燃しが慣れない。
1週間毎くらいに、親戚が木切れをトラックで運んできます。
叔父さんが、山から丸太を運んできたりもします。
その度に 家族総出で片付けます。
それも大変なのですが、舅の 燃し場の片付け方がひどい。
私は小さい物からでないと燃せないので 大きさごとに分けるのですが、
それをすぐに混ぜてしまう。
松ぼっくりは 火力が強くて火を興すのに便利なので よく拾ってくるのですが、
それも混ぜてしまう。
私は、風呂を燃す度に ダンボール・新聞紙・木っ端・木材と分けるのですが、
しばらくすると すぐに混ぜこぜになってしまうので ほとほと嫌になりました。
何しろ、丸太なんて 普通窯で燃やせるものじゃありません。
皮だけ燃えて そっくり焼け残ってしまい、湯温は上がらず仕舞い。
冬の寒さでは、沸かすのに1時間以上もかかってしまいます。
暑いより寒い方が得意とは言え、これには参りました。

何はともあれ、年越しです。
来年は本厄の私です。

10月
れいがエレクトーンを習い始めました。
私は、小2から中2まで習い、ヤマハグレードで6級までいき 挫折しました。
でも最近、好きな曲を起こしてみたくなったりしていて、
発表会で弾きまくったことを思い返したりして。
れいに薦めてみたら やりたいと言ってきたのです。
土曜が休日になってからというもの、小学生は多忙です。
1年生なのに、平気で5時間めまである。
その中で、火曜日だけは4時間なので、その日を選びました。
先生は とても優しくひょうきんな方で
その日かられいは 先生が大好きになりました。

8月
お盆に実家に帰りました。
それまでは、実家に帰るのがとても怖かった。
里心がつきそうで、帰りたくなくなりそうで。
でも、帰れば帰ったで 当たり前に迎えてくれる家族がいました。
1日だけ 友達とのおしゃべりに時間をもらい、
後は いとこのかいちゃんと交通公園に行ったりして、
東京の暑い夏を満喫しました。
帰るのも、全然怖くなかった。
今度はいつでも帰って来られると、そう思ったひとときでした。

4月
しょーごが新しい保育所に入りました。
前の保育所では、友達が2人だけ。いつもその子たちとしか遊べませんでした。
だから、学校で言う「転校」のような経験は、とても心配でした。
案の定 年を越すまで ほとんど友達はできませんでした。
保育所と言っても、幼稚園のように 算数や平仮名の練習をしたりします。
前の保育所ではそういうことがなかったし、3月末産まれということもあって、
何をするにも いつもビリでした。
先生はいつも寛大でしたが。
もう一つしんどいことは、布団を持ち込み、毎月持ち帰らなければならないことでした。
なんとか自転車に積んで行き来しましたが、雨の日には 舅に助けを求めなければなりませんでした。

れいは新1年生。
こちらは心配していませんでしたが、やはり すぐに友達ができ、
楽しそうに通い始めました。


離別
3月。
私の鬱病が悪化したのと、だんなが仕事を辞めたのを切っ掛けに、
家族で福島の原町にあるだんなの実家に引っ越すことになりました。
私にとっては母親との別れ。身を切るような思いでしたが、
家賃の問題もあり、借金もあり。
私は実家で静養し、夫が福島に帰るという選択肢も無きにしもあらずでしたが、
保育所の所長先生が、子供と親が別れることほど不幸なことはない と言ってくれ、
姑が、「寝たきりでも、何もできなくてもいいから こっちにおいで。面倒見るから」
と言われたこともあり、決意。
まぁ、『何もしなくてもいい』は建前だとは分かっていましたが。
れいは4月から小学1年生。いい機会でした。
だんなが先に行って手続きを済ませ、しょーごの保育所への転入も決まり、
私は子供たちとギリギリまで保育所に通うため 3月末まで実家に入りました。

入ったはいいが、保育所まで遠くなったこともあり
父が鬱病に対して厳しいこともあり。
特に、多種の薬を飲むことに対して かなり反発されました。
私はその頃 薬にかなり依存していたので これはきつかった。
顔面神経痛のようになり、目を開けていられなくなりました。
病院では特に 症状に対して対策も何もなかったので、仕方なく目医者に掛かりました。
目が乾きやすく その為傷つきやすくなっている、とのこと。目薬を処方してもらいました。
でも、今思っても やっぱりあれは顔面神経痛だったと思う。
父によって、かなり追いつめられていた自分を感じます。
保育所の送り迎え。お風呂。家事の手伝い。
昼間は少しだけ休まるものの、全てが苦痛でした。

そしてとうとう3月28日。
母は上野まで送ってくれました。
大げさではありますが、離別を覚悟して特急に乗り込み、
発車した後は しばらく涙が止まらず、れいに心配されました。
舅・姑・大姑との共同生活。
そのくらいの覚悟がないと、立ち行かなかったのでした。

その後のことは よく覚えていません。
ちなみに、これが おばあちゃん(大姑)の飼っているシロ(雄10才くらい)です。