●●基礎知識●●
考古学関係 / 神話関係 / 地形用語 /  歴史書等(日本) / 歴史書等(中国・朝鮮・韓国)

 ◆考古学関係◆
 関係ないが、考古学者と歴史学者は 仲の悪いことが多い。
 考古学者は歴史学者のことを、「絵空事ばかり言う奴ら」だと思っており、
歴史学者は考古学者のことを、「頭が固くて応用の利かない奴ら」だと思っていることが多いようだ。
 考古学は、どちらかというと理数に近い。「丁寧に発掘し、精密に実測し、いかにして保存するか」ということが最重要であり、
大学の研究室ならいざ知らず、地方の調査団体ともなると 報告書を出すだけで精一杯で、(しかも滞ってさえいる)
「この遺物がどのように利用されたか」ということまで 手が回らないことが多い。
そんなわけだから、歴史学や民俗学との連携なんて やっている場合じゃない。
 歴史学者は、「これはこうだったのでは?」という「発想」から出発することが多いので、
本を出しているような有名な歴史家でも、検証が不足している場合がある。
 だから、歴史学者の弱点は「発想に偏りがち」ということであり、
考古学者の弱点は「横との連携ができにくい」ことであると言えるかも知れない。

もうひとつ、考古学について 知っておいてほしいことがある。
それは、「日本が考古遺物の残りにくい地質である」こと。
酸性の土壌なので、金属はすぐに錆びてしまうし、木はすぐに腐ってしまう。骨だって「棺」にでも入っていない限り残りにくい。
  ※泥湿地と言って、泥の地層がある場合は、空気が遮断されて いろいろなものが残っている場合があります。
だから、金属器時代の遺跡について 「日本のはヘボい」 なんて思っているとしたら、
上のことを 少し思い起こしてみてほしい。

<遺跡GIS>
現在、インターネット上で見られる遺跡地図の開発が進んでいる。 (というか、まだだったんかい(^^;)
これは、地図の上に 遺跡名等のデータベースを載せるというもので、
地図上で遺跡をクリックすると 時代や発掘現場の実測図,遺物の写真・実測図等が見られ、 検索も可能なものが予定されている。
書籍では、どんどん新たな遺跡が発掘されるにつれて すぐに時代遅れになってしまうが、
インターネット上のデータベースをどんどん更新していけば、
いつでも最新の情報が見られるようになる。 (はずである。)
実現には相当な時間がかかるものと思われる。

<土器と時代>
  縄文時代とは、縄文土器が出土する時代のことである。
  弥生時代とは、弥生式土器の出土する時代のことである。この時期に稲作が始まった。
  古墳時代とは、古墳が造られる時代のことである。
じゃぁ、具体的に西暦何年頃のことなのか?
この編年だと、土器の出土年代や古墳の年代比定が動く度に 時代が動くことになってしまう。
今現在私の手元にある資料によると、縄文土器で最古のものは紀元前10000とちょっと前。長崎の泉福寺出土の土器片。
土器としては世界最古。
稲作で言えば、紀元前6000年ぐらいにはもう 米が出土する。縄文時代ど真ん中である。
(米の検出は、土器の中に炭化米として残っている場合/土器を作る時 粘土に藁が練り上げられている場合/
 土の中にプラントオパールとして残留している場合 等がある。)
「古墳」と言うが、勿論円墳の小さなものから徐々に発達していくので、「ここからが古墳」と線を引くのはどうか。
しかも、弥生時代中期末(紀元後1〜2世紀頃)に出雲で始まる「四隅突出型方墳」をどう考えるのか。
「弥生時代に作られた古墳です。」・・・・・・おかしくない・・?
「弥生時代に作られた古墳」を採るのか、「古墳時代は2世紀からです」と言うのか。あまりはっきりしていないように思う。
もし今のままで行くのなら、教科書はこまめに改訂した方がいいし、ある部分で「西暦○年」と はっきり線引きした方がいいと思う。

<放射性炭素測定>
有機物の中にある放射性同位元素・炭素(C14)は、一定の年代毎に減少する性質を持っている。
その性質を利用して、土器や木材等の年代を測定する方法。

<プラントオパール>
稲科の植物は、細胞内に珪素(ガラス)を蓄積する。
ガラスなので、枯れて土に埋まっても、その細胞だけが残る。これをプラントオパールと言う。
また、「イネ」や「ヒエ」等 種類によってその細胞の形が違うので、
電子顕微鏡でその細胞の形を見れば、何の植物か特定できる。

<四隅突出型方墳>
出雲地方特有の墳墓。方墳(四角い古墳)の四隅が、にゅっと足のように突き出た形をしている。
出雲において青銅器の祭祀が終焉を迎える 弥生時代中期末頃(紀元後1世紀ぐらい)から出現する。
今までは三次盆地(広島県の山の中)のものが最も古く、そこからの伝播と言われてきたが、
出雲内で 突出のないものからあるものへの変遷が辿れるような古墳群が発見された。(洞ノ原墳墓群)
これにより、この形態の古墳は「出雲で始まった 出雲特有の」古墳と言うことができる。
 ※現地では「四隅突出墓」と言っていることに注目。
 形状は古墳なのに、出現時代が「弥生時代」であるために 古墳と認められていないようである。


 ◆神話関係◆
名前が長いと分かり難いが、分解すると 役職名(称号)や地名で構成されていることが多い。
「神の分布」は、そのまま古い時代の「国家勢力図」として理解することができる。
大まかに言えば「出雲系の神」/壱岐・対馬を中心とする「天(海人)神」/「その他の国神」等。
古い時代からある神社の祭神を調べると、その分布が見えてくる。(ただし、由緒書から消されている場合がある。)
神社に関しては、風土記が残存する地域は風土記に記されている。
また、延喜式(延喜五(905)に成立した法典。律令や寺社についての記録もある。)にも記されている。

<ちみ>
「ち」は後に「貴」字を当てる。「ち/ぢ」が語尾に付いた神さまは、出雲地方に多く見られる。(例:オオナムヂ)
「み」は「神」のこと。女神に対して使うことが多い。対する男神は「○○き」。(例:イザナギ・イザナミ)

<姫・彦・皇子>
始めは 村の祭祀の中心であり村の長である「日女(ひめ)」が至上の位だった。
後に男性上位になってからは、「日女」に代わり「日子(ひこ)」が村を治めるようになる。
そして、「日子」が複数の村を統合して治めるようになってくると、「日子」を統括するための位「皇子(神子)」が出現する。
そうやって、役職は流動的に変わっていったらしい。
だから神話における「彦」は、「地方長官」的な役職名である。「地名+彦」の形が多い。
 (例:磐余彦(イワレヒコ)=神武天皇) ※ちなみにこれは、奈良盆地を制圧し 磐余に居を構えた後の称号である。

<武>
タケルは、軍事長官的な役職名。日子と同じく 地名とセットになっていることが多い。

 ◆地形用語◆
地形を表す日本語は、実はとても古いようです。
宮崎県から高知県にかけて小字地名をずっと拾っていくと、「碆(バエ)」という名前がたくさん出てくるが、
海岸近くにあるので 海岸地形を表す地形名詞と考えられる。
それが、2万年前に沈降した(地質学の調査による)箇所だけ 「○○碆」という名前が出てこなくなる。
これは、2万年以上前に この地域に「○○碆」という地名が定着した後、
その部分が沈降してなくなってしまったための空白域と思われる。

岬を表す「鼻」という地名も、体の部位を当てはめていることから 意外に古いのではないか。
また、「船越」という地名も、川と川の間を 船を引いて移動したことから付いた
縄文時代以前の風習による地名なのではないかと推察できる。
もうひとつ。地名を表す名詞には、中に「接頭語」や「接尾語」が混じっている。
その「接頭語」や「接尾語」を除いた部分が 語幹。つまり、地名の本体ということになる。
  例えば、(たまたま手元にあったので)神奈川県の 小田原周辺の道路地図なんかを開いてみたりする。(1/30,000)
  足柄上郡に「中井」という地名がある。その下には「田中」。小田原市に入ると、小船の近くに「下中」(上中は見つからなかった)。
  西の方に「中曽根」。東の方に「中村原」と「中里」(ちなみに行政区画でも「中郡」がある)。
  少し離れるが、南足柄市に「中沼」がある。
  これだけ「中」が見つかるということは、このあたりは昔 「なか」と呼ばれる領域だったのではないか。
  ・・・という風に見ていくと、地図を眺めるだけでも結構面白い。
  (田中は「田」の「中」である可能性あり。中町は東町等が、中宿は下宿が、中新田は上新田・下新田が
  それぞれ対にあることから、「まんなか」を意味する「中」であることが分かる。)
   ※「蘇我」については、調べてなくてあまりよく知らないのですが、小田原市内の御殿場線に「蘇我駅」というのがあり、
    その周辺に「蘇我」がたくさん出てきます。「大化の改新」から逃れてこの地に移住したという伝承があるそうです。
地名は、明治時代以降に大幅に改訂されてしまったので、それ以前の地図を見ると 比較的残存率がいい。
また、「和名抄(和名類集抄)」(承平年間(931〜938)成立の漢和辞典。)には 地名も詳しく載っている。
国の中心地名は、権力者が交替すると変わってしまうことがあるが(例えば幕府が倒れて江戸が東京になった)、
その周辺に 類似地名として残存している場合がある。
ちなみに、神話では 「○○神がこういうことをしたので、ここを△△と名付ける」と言った地名由来談が数多く語られているが、
上の方法で検証すると、もともとある地名に則して 伝承が作られたことが分かる。
以下には、古田氏が 地形に対する用語として用いているものを揚げます。
<なら>
朝鮮語「ウリナラ=我が故郷」を否定するわけではないが、あくまでも日本語の範囲内で理解可能。
日本語には「ならす」という動詞があり、そうやって整地した土地を「なら」と呼んだものと思われる。
「なら」という地名は、日本国内にたくさん存在する。

<地形名詞>
ぬ/の=野
な=魚? 海岸地名
と=戸(入り口)
ダイ(台)=古い時代 九州地方で低湿地を表す/高台を表すのは後世

 ◆歴史書等(日本)◆
「正史」と呼ばれているものは、「国家の真実を書いた書」ではなく、
「国家のイデオロギーを通して完成された書」である。
史書成立当時の為政者が、「これで問題ない」と認識した時点で 初めて「国の正史」として認められるようになる。
その為、その国にとって不利なことは記されにくいし、有利なことは多少誇張されることがある。
ただ、外国の目があるので 嘘八百は書かれにくい。

<日本書紀>
成立:元正天皇の養老五年(西暦720)
神代から持統天皇(〜西暦697)までのことが記された日本国の正史。
「天照大神から 天皇家は万世一系日本国を治めている」ことを主張するために編集されたものと思われる。
原本はあくまでも、原文である漢文と 原文中にある注記文のみであり、
ふり仮名と欄外の注記文は後世(平安時代以降)の学者の手に寄るものであることに 注意が必要である。

<古事記>
成立:元明天皇の和銅五年(西暦712)
神代から推古天皇までのことが記された書。
純粋に 天皇家内の故事を編集したものと思われる。正史ではない。

<風土記>
元明天皇の和銅六年(西暦713)に、諸国に編纂を命じたとある。
地方の神話や事件等を記した書。
現存するのは、「常陸国風土記」 「播磨国風土記」 「出雲国風土記」 「豊後国風土記」 「肥前国風土記」である。
他の書物に記された「逸文」と合わせて、1冊の本として東洋文庫から出版されている。

<万葉集>
成立:未詳
柿本人麿(かきのもとひとまろ)や、それ以前の時代,天平・奈良時代,大伴家持(おおとものやかもち)の詠が編集されている。
古い時代のものは、題名と中身の一致していないことが多い。
万葉集は 古事記にも日本書紀にも掲載がない。
ちなみに、柿本人麿も 日本書紀に出てこない。
しかも、「朱鳥七年」なる年号が突然現れたりする謎の本。

 ◆歴史書等(中国・朝鮮・韓国)◆

<後漢書>

<魏志倭人伝>
三国志
<隋書>

<旧唐書>

<新唐書>

<三国史記>
朝鮮史書。高句麗・新羅・百済
<三国遺事>
朝鮮史書。高句麗・新羅・百済