GOMORRAH  11月
(↓下からはじまる)
  2006/11/29(水) 月齢8.20 中天PM4:09/真裏AM6時半頃?
休日にのんびりし過ぎて惚けている。

いつも通り仕事に出る。
明日の棚卸しの準備をする。
ほどほどに忙しかった。

どうやらしょーご。最近いじめられて悩んでおり、ぽつりと「僕、強くなりたい」とつぶやいた。
夫が しょーごに柔道を薦めたら 乗り気になったので
今日、夫がしょーごを連れて 道場に見学に行った。
柔道と言っても、礼儀作法から体操まで 幅広く教えてくれるスポーツクラブだそうである。
礼儀作法というのが気に入った。
体格がいいので、昔から何か格闘技をやらせてみたかったのだ。
続くといいのだが。彼の粘りっ気に期待。
ただし、6時半から8時半まで。
おにぎりを食べさせて連れて行くとして。
帰ってからもお腹が空くだろうから 何か食べさせてお風呂に入れて。
・・・・・私の方が続かどうか心配である。

  2006/11/26 月齢5.20 中天PM4:09/真裏AM4時頃?
昨日の悲しみを引きずったまま仕事に出る。
接客はできるが仕事に集中できない。
ともすれば泣きそうになる。
幸い、Sさんが早く入ってくれたので、気持ちが紛れた。
仕事は多かったが、Sさんは仕事が早いので助かる。

帰るとゴマを抱えて 4人と1匹で年賀状用の写真を義母に撮ってもらう。
しょーごのジャージ半ズボンが使い物にならなくなっていた為、買い物に出る。
夕方から ひどく具合が悪い。イライラする。
夕飯時に 義父が煩いので、余計にイライラが募る。
苦しい。

  2006/11/25 月齢4.20
喪中はがきにて訃報が届く。
私の入っている「古田説」の古代史研究会の事務局長をなさっていた方である。
しばし呆然とする。
封を切っていない会報を見たら、既に氏の訃報が載っていた。
9月といえば、れいのエレクトーンに必死だった頃。
その後急激に体調を崩したので 開封しないままだったのだ。
知らなかったという そのことにもショックを受ける。
50代後半。まだまだこれからという年齢で。
この方は旅行会社に勤めておられ、研究会の歴史探訪の旅を企画なさったりしていて
勉強会の方にはほとんど顔を出されなかった。
だから、古田氏の どこに惹かれたのか長い間疑問だった。
古田氏の本を譲って頂いて、初めて氏の研究熱意に気付いたのは近年のことである。
自説を披露せずにはいられない集団の中で 寡黙を通された方であったので、
どのような研究をなさっておられたのか とうとう聞くことができないままであったのが無念である。
まだまだ研究したいこと。知りたいこと。行ってみたい場所があったと思う。
私が死にたい死にたいと駄々をこねている間に、彼の方は鬼籍に入ってしまわれた。
悲しみと共に、恥ずかしさが込み上げる。
私にはまだ 知ることの出来る 目と耳があるというのに。
これからまだ 時間もあるというのに。
悲嘆に暮れている暇などないではないか。

無性に神無月の出雲に旅立ちたくなる。母と共に行けたらどんなにいいだろう。
あまりに悲しく 母にメールを送る。

 > それは悲しい訃せでしたね。
 > マキが子育てを終えても40歳くらいかな、
 > 出雲や隠岐や対馬に行けるようになったら、又その方を身近に感じられると思います。
 > 私はいくつになっているか、一緒に連れていってもらいます。
 > 奈良の日々は今も心ときめくのですよ。
 > 美術や歴史の資料は大切に残しておきますから。
 > ではおやすみ

焦ってしまう時もある。だが、今でなくてもいい。いつか必ず勉強し直そう。
もう
死にたいとは口にしない。

  2006/11/19(日) 月齢27.91 中天AM9:55/真裏PM10時頃?
21日が朔(新月)である。
旧暦ではまだ長月だったのだ。
21日から神無月となる。
出雲では 海が荒れている頃だろうか。
神無月(出雲では神在月)の海の荒れを 「お忌み荒れ」と言うそうだ。
その頃、海流に流されて エラブウミヘビが浜に流れ着く。
海蛇はイザナミの先鋒と言われ、剥製にしたものを 佐太を始め、各大社で奉る。
日本中の神々が集うと言われる神在月の祭りは、昔は「お忌み祭り」と言われ、
音も立てず ひっそりと行われたのである。
それは、イザナミの命日を奉るものでもあった。
神々が日本中の縁談を取りまとめる祭りだと、いつ頃から言われるようになったのだろうか。

  2006/11/18(土) 月齢26.91 中天AM9:13/真裏PM9時頃?
寝起きの気分は最低だったが、二日酔いのむかつきが収まったら落ち着いた。
夫は休日出勤である。
義母は今日休みで明日仕事なので、今日は朝から掃除と洗濯。
寒くなってきたので、シーツを冬用に替える為 洗濯する。
時折り晴れ間は覗くものの曇天の為、乾くかどうか気になる。
片付けての掃除は久しぶりなので、昼までかかる。

午後、夫が帰宅したので 買い物に出る。
義父がパチンコで儲けた為 義母はデジカメを買う。
私は、仕事用の靴が大破した為 小さくなったれいの長靴と共に購入。
予算より少し高目だったが、履きやすいので良しとする。
久しぶりに近所のラーメン屋で遅い昼食を食べる。

帰ると、案の定 冬用シーツが乾いていない。
除湿器をかけて部屋で乾かす。なるべくなら今日使いたい。
やはり、大物の洗濯は晴れた日にしたいものだ。
・・・などと我が儘を言っていると、洗うまでに延々とかかってしまうのだが。
夫に、敷き布団カバーも替えるか洗うかする様言われるが、
こんな天気の日に 毛布生地のシーツを洗濯して苦労して乾かしたのだ。
言われても腹が立つだけである。

子供の算数に手間が掛かっている内に、夫が布団はどこだと騒ぎ出す。
シーツと 掛け布団カバーを替える為、布団を敷くのに手間取る。
夫も布団を敷こうとしたが、段取りがある。
早く寝たい気持ちは分かるのだが、少し言い争ってしまった。
今日は中天と真裏、両方悪いようである。

疲れた。

  2006/11/17(金) 月齢25.91 中天AM8:33/真裏PM8時半頃?
いつも通り仕事に出る。
今日は、特別気持ちにムラがない。二日目にも関わらず、月経の苦痛もそれ程無い。
Aさんとのかぶりだったので楽しかった。
Aさんは 私と同い年である。
そのせいか、割と話が合う。いや、合わせてくれているのかも知れないが。
午前中にデジプリが集中した以外は暇だった。

子供たちは 先生方の会議の為1時下校。
私の上がりが3時なので、宿題を済ませた後 待ちきれずに迎えに来てくれた。
音読を済ませた後は遊びに出す。
うっかり寝てしまい、気が付いたら6時半。
夫が帰って来ていた。
久しぶりに早い帰宅である。

来客。義母の会社の友人二人。私にとってもうれしい客である。
義父・義母と客二人が飲みに出るはずが、結局家で飲むことになった。
夫にゴマの世話を頼んで義母と肴の用意をする。
親戚のおばさんも来て、久しぶりに来客と共に飲んだ。
幾分具合が悪かったので、酒を入れると 少し気分が良くなった。
子供を寝せた後、洗濯を回して また酒宴に参加する。
義父は すでに横になっていびきをかいていた。
義母の仕事仲間の一人で 白内障と子宮筋腫を患っている人がいて、その話を聞く。
客が帰った後、義母と片付けをして 洗濯物を干す。

少し前、気に入っていた曲がある。
教育テレビの「みんなの歌」で流れていた。さだまさし作詞作曲の、「がんばらんば」。
曲全体は、「がんばらんば(がんばらなきゃ)」という 鬱病患者には禁句である前向きな歌詞で成り立っているのだが、
これは 顕かに鬱病患者 又は引きこもりの人に向けた歌であるように思う。
その中に、「でんでらりゅう」という童謡が含まれている。
 でんでらりゅうば でてくるばってん
 でんでられんけん でてこんけん
 こんこられんけん こられられんけん
 でん でん
 (出られるならば 出て行くけれども
  出られないから 出ないから
  来られないから 来れないから
  行かないよ 行かないよ)

この曲は長崎弁で、大まかな訳は ( )のものであるようだ。
歌詞の中には、「待っているけれども 来ないなら、チャンポン食べて寝るよ」というようなものもある。
曲全体で「がんばらんば」と詠っていながら、「できないものはしょうがないよ」と言ってくれているのである。
だから、辛い時には思い出すようにしている。
どうしても出られないなら、仕方ないじゃないか。
 こんこられんけん こられられんけん/でん でん
である。

今日は特に、潮の満ち引きに関係なく 気分が上下した。

  2006/11/16(木) 月齢24.91
昨日は給料日である。
今日 明細を見たら、びっくりする額が入っていた。
シフトが3時まで増えたせいだろう。
その分、今月・来月と 日数が減らされていた。

今日は仕事でSさんとのかぶりだった。
前の日遅番だったSさんが 疲れているだろうと椅子を勧めたら、
「私、今来たばっかりだした!(今来たばっかりでしょう!)」
・・・・・と怒った。
年寄り扱いするなと言うことだろうか。
・・・・・怒られてしまった。
しばらくしたら 自分から椅子に座っていた。
言わなければ良かった。
Sさんは、仕事が早い。物凄く早い。
だから、仕上がり時間に余裕を持たせると 逆に怒る。
二人でシフトインしているのだから、時間通りに仕上がると言う。
リーダーに怒られて以来 時間通りに仕上がらない事が身に染みている私には出来ない芸当である。
Sさんとのかぶりの日には、なるべく目立たないように 仕事の邪魔にならないようにしている。

夜。子供の寝顔を見ると、なんだか昼間の喧噪が嘘のように愛おしくなる。
この子たちに、たくさんのことを教えてあげたい。
たくさんのことを伝えておきたい。
母性には、スイッチがあるらしい。
それが入らないと、いくら自分の産んだ子供でも 愛おしく思えないのだそうだ。
そのことで悩んでいる方がいたら、騙されたと思って試して欲しいことがある。
これは、異性の子供にしか効果がないのかも知れないが。
天蓋(頭の天辺)の 匂いを嗅いでみるのだ。
昼間は 子供が暴れたり、他のことに気を取られたりしているが、
なるべく自分にやることがない 余裕のある時間で、子供が寝ている時がベストかも知れない。
昼間は悪魔でも、寝顔は天使だなどと人は言う。
それは 当たらずと言えども遠からずだと 私は思う。
寝ている子供を抱き寄せて、天蓋の匂いを嗅いでみる。
・・・・・ほっとした気持ちになれただろうか。
少しでも その子の事を愛おしく思えただろうか。
1日に一度とは言わない。
1週間に1度でもいい。
そんな時間が少しでもあれば。
少しは 自分に母性がないという自己嫌悪から遠去かれるかも知れない。
虐待の衝動から逃れられるかも知れない。

月のものが始まる。
仕事の時 気持ちが落ち込み気味だったのはそのせいだろうか。
月経前にこれだけ好調だったのは奇跡的である。
これからどれだけ下がるか。月の満ち引きを見ながら観察してみる。

  2006/11/14(火) 月齢22.91
昨日は休みだった。
夫が帰らなかったので、ゴマの世話をする。

最近、眉を剃りすぎて収拾がつかなくなっている。
顔の形を考えるなら、私の眉は もう少し上でなければならないのだろうと思い、
眉を殆ど剃り いつもより上向きに書いてみる。
少しきつめの顔になった。
太る前は、目がきついことを気にしていた程だから いつもは眉が吊らない様に気を付けていた。
太ったので、このくらいが丁度いいのかも知れない。
不思議と 気持ちが大きくなる。
民俗学では、化粧と精神は大いに関係があると言われている。
「もののけ姫」に出てくるイノシシたちがしていた「戦いの化粧」も、実際にある部族がしていたものである。
日本や中国では、巫女が神掛りの際に化粧をしていたことが知られている。
化粧一つで性格が変わる、ということは実際にあることなのだ。
・・・なんてことを、たかが化粧をする間につらつら考えている。
私は、物事を いちいち理屈を付けなければ理解できない方である。
この文体も、京極の影響は大きいものの 大筋ではこの理屈屋が捏ね回した故の産物である。

話は飛ぶが、「ダヴィンチ・コード」を読んだ。
全然面白くなかった。
映画化を記念したドキュメンタリーの方が 余程面白かった。
登場人物に魅力がなかったのもあるが、あれならば論説文の方が遙かに良い。
記録と遺物と それ以外の様々な証拠を並べ立て、そこに自説を立ち上げればいい。
私が京極を好きなのは、彼の「説」と、ドラマとがはっきりと分かれているせいだろうか。
勘違いしてもらっては困るが、鬱病の登場人物「関口氏」に共感しているからではない。
ドラマとしては登場人物に魅力があり、歴史考察(特に妖怪に関する考察)は筋が通っている。
彼の考察は、私好みで とても理屈っぽい。
もともと、私は 「邪馬台国」やら「卑弥呼」やらの歴史本を好んで読んでいた。
感情に訴える物よりも、理論立てて説明される方が好きなのだ。

それはさておき、冒頭のバフォメットや このページの表題であるゴモラを見た方は、
私がアンチキリストであると思われることだろう。
確かにその通りだが、若干の違いがある。
私が嫌いなのは 「聖書の解釈」である。
国教となるような神話は 必ず政治家の手が加えられている。
その神話の元になる歴史的事実があったとしても、
後世 国がその神話を記す際に、必ず国家的イデオロギーが付加されるのである。
日本神話も例外ではない。
例えば、男尊女卑を正当化しようとする。
日本神話では国産みで。聖書ではアダムとイヴの逸話で。
そのことを記さなければならなかったのは、それ以前に女性が尊ばれていたという傍証だ。
そういった事を 古田氏の著書で学んでいたから、私は聖書に対してもその様な目で見ていた。
それを 恰も本当に神がそう言ったかの様に理解していることが不快だったのだ。
だから、キリストに妻がいて 子がいようが、なるほどと思うだけだ。
キリストに妻がいては不都合だ、聖書から削除しよう。それを、バチカンの選挙で決めた。面白い。
NHKで、出エジプト記に記された7つの災厄は 歴史的事実だったという見解が述べられていた。
ソドムとゴモラも、火山によって滅びたという。
だが、本当に背徳の街だったのかどうかは 聖書だけでは分からない。
だから、歴史は面白いのだと思う。
不純な動機もある。
父は、私を「古田教」だと言った。ならば父は「宮城谷教」である。
いつか中国至上主義の父に、日本の凄さを証明して「ぎゃふん」と言わせたい。

前置きがかなり長くなったが。
いつも通り仕事に出る。

今日は12時からリーダーとのかぶりである。
最近にしては珍しく暇だった。
年賀状のカタログを見て、価格や 写真を預かる際の注意点等を見直す。
いつも通り、リーダーには笑顔で挨拶。
接客時に 少し自分の対応が冷たいと感じることはあったが、その後は普通に接客できた。
慌てるほど仕事はなかったのだが、努めて落ち着いて仕事する。
だが、「てきぱき」と「あたふた」の境界がどの辺りにあるのか 少し疑問に思う。
こればかりは慣れないと分からないことだとは思うのだが。
今日は 失敗に対して「注意」止まり。説教されることはなかった。
緊張もしなかった。
化粧の効果だと、重ねて自分に言い聞かせる。

今日はれいのエレクトーンの日。
郵便局の用事を済ませてからと思ったら、予想以上に待たされ 時間ギリギリになってしまう。
エレクトーン。これからは、グレード試験に向けて 地道に基礎を固めていくしかない。
晴れやかな発表会と違って、少し本人にとっては辛い時期に入るかも知れない。
帰りに、肉屋で豚の骨をもらう。ゴマのためである。
煮てから与えるそうだが、気に入ってもらえるだろうか。
それでなくても 歯の生え替わる時期で、自分の小屋を囓って その木くずが便に出るほどである。
骨ガムを与えても、すぐに食べきってしまう。
とりあえず、本物の骨を囓っていてくれ。

義父がいてくれたので、風呂を燃さなくて済む。
火曜日には特に有難い。勝手なものである。
義父は料理好きで、休みの日は早くから飯を炊く。
今日のご飯は、なんと 温めた冷凍庫の握り飯と混ぜて団子のような出来だった。最悪だ。
味噌汁は上手いのだが・・まま外すのが玉に瑕である。
夕飯は少し遅くなった。
れいの宿題をチェックしていたら、夫が帰ってきた。
夫の夕飯の後、れいに少しエレクトーンの練習をさせ 寝せた。

最近、このページを書くのが楽しくて 日増しに夜寝るのが遅くなっている。
精神衛生上はいいように思うのだが、やはり 鬱病患者は夜の睡眠をしっかり摂らなくてはならない。
そろそろ切り上げて寝るとしよう。

  2006/11/13(月) 月齢21.91
もうすぐ新月である。

1年くらい前に書いた詩。

 追い風は耳に遠し/向かい風は身に痛し
 追い風は瞬く間/向かい風は遙かなり


良い時期は 追い風のように気付かないし すぐに終わってしまうけれども
悪い時期は辛いし、永遠に続くような気がする
・・・というような心情を詠ったものであったと思う。
丁度、師走の身を切るような風の中で しょーごの保育所の送り迎えをしていた頃のことである。
私は、自転車で向かい風を受けながら、「鼻の下が凍る」という経験を初めてした。
この詩は、後ろ向きに解釈すれば 「辛い辛い」ということになるが、
前向きに解釈すると 「チャンスを逃すな」という意味になる。
今はどうやら、比較的追い風の時期のようだ。
多分、この周期は次の新月までである。
それまでに、なるべく子供のことに時間をかけてみたいと思う。
自家製「く○ん式」では、二人ともタイムアタックが好調である。
何より、毎日続いていることがすごい。
れいは、九九の3の段が あと少しで覚えられる。
2の段は、後ろからやるのと バラバラにやるのとが まだできないようである。
それが出来て 初めてシールがもらえるそうだ。
一つもシールがもらえないと、冬休みに登校という羽目になると言う。(半分は冗談だろうが。)
2年生なのに、ほとんど毎日5時間。連日宿題の山。
何が「ゆとり教育」だと 少しだけ憤りを覚えたりする。
土曜登校になれば、もう少し余裕が出るのだろうか。
あまり変わらない気もするが。
勉強は、身にならないと意味がない。
確かに、繰り返し量をこなすことは ある意味身になることになるのかも知れないが。
本人はたまったものではないだろう。
・・・などと思っていたら、彼女は今日もちゃっかり遊んでいた。
子供は逞しいものだ。

夫は仕事で帰って来なかった。

  2006/11/12(日) 月齢20.91
今日は選挙のため9時開店。気合いを入れて起き、8時半前に出勤する。
マネージャーが来るというので、開店準備の合間を縫って掃除する。
特にマネージャーを気にするまでもなく、私は結構店の掃除をする方だ。
Sさん程徹底的にではないが、軽く埃を払って 床を掃くくらいは割といつもする。
(ちなみに、家の掃除は滅多にしない(爆))
今日は、ゴミ捨ても指示されたのでやろうとしたが、開店確認もあって ゴミ捨ては開店後になってしまった。
いつもの開店時間になった頃から混み始め、10時を過ぎるとてんてこ舞いになった。
写真屋というのは、仕事を受けてしまったら お客様がいつ取りに来るかなんて分からない。
今日は特別回収率がいいように思った。
客足がいいので 現像に流す暇がなかったり、焼く暇がなかったりする。
それでもいつもより時間を多めに取って対処したので、お客様を待たせることはなかった。
12時からかぶったAさんは、声が良く出ていると褒めてくれた。

・・・・・愚痴である。
どうにも納得がいかない。理不尽である。
間違いを指摘されるのはいい。当たり前のことだ。けれども、何か違う気がするのだ。
半年経って、まだこんな間違いをする。心配だ、とリーダーは言う。
つまり、私が失敗すれば 自分の責任になる。それが心配だという風に聞こえる。
だからと言って、辞めたいわけではない。だから、愚痴である。

デジプリの注文機の前に、ちらりと 若い女性の姿が見えたのだが、気が付いたらいなくなっていた。
データだけが流れてきて、お客様がいない。誰が注文したのか分からない。
2時にリーダーが来た。
中締めを終えても そのお客様が来る気配がないので、そのデータをどうするべきかリーダーに聞いてみた。
いつもは、受付に来ないお客様のデータは消してしまっていた。
今日に限っては、前後のお客様に注文したかどうかを聞くべきだったと怒られた。
そのことに対する対応の悪さを 延々と説教された。気が付いたらすぐに対応すべきだったと。
実はこれ、私が対応したのは初めてだったが よくあることである。
注文したはいいが、やっぱりやめたと いなくなるお客様はよくいる。
そのせいで 大量のロスプリ(失敗したり 引き取り手の無い写真のこと)を出したこともあると聞いていた。
また、店内を一周されてから 思い出したように受付に来られるお客様もいる。
だから焼かずに残しておいたのだが。
確かに、競合店の無かった時には1時間に10本入ることもあった店である。
今日の注文枚数で忙しいというのは 言い訳なのかも知れない。
時間をもっと多く取れば、余裕が出るから そういうことにも対応できる、というのである。
まだ慌てて対応している、走り回っていると言う。
自分としては かなり落ち着いてきたつもりなのだが、もうワンテンポ のんびりする必要があるのか。
いや、のんびりというとまた怒られてしまうが、私としては 他に言いようがない。
接客時の声の大きさに関してもそうだが、
どうして私だけが ここまで怒られなければならないのか、そこの所がいまいち理解できない。
声だけ言えば、皆小さい。
カウンターから離れて後ろに回ってしまえば、何を言っているのか分からなくなる程度には。
前に勤めていたのは、とにかく大声を出せと言われる電気量販店だった。
だから、前の職場と違って 今回は大声を上げてはいけないんだな、と勝手に思っていたほどである。
自分のことは客観的には見られないが、今日だって そこまでおたおたしていただろうかと思う。
接客時の声の大きさも、それほど努力したわけではない。ちょっとした匙加減なのだと思う。
所詮、リーダーの主観であるように思う。
まぁ、直接言われないで陰口を叩かれるよりは遙かにマシだが。
時間をたっぷり取って、落ち着いて対応。一応頭に入れておく。
できないと、また大きな溜息をつかれてしまう。
幸いにと言うか不幸にと言うか、今月はリーダーとのかぶりが多い。
忙しいこと。リーダーと一緒に仕事をすることに早く慣れよう。
(リーダーがいるとかなり緊張するのだ。ぶっちゃけ、実は挙動不審な所もあるかも知れない。と白状してみる。)
幽霊客(?)のデジプリのことにしても、考えてみたら 機械に流しただけで注文したつもりになっているお客様がいるかも知れない。
そういうお客様にとっては、出来上がっていないことがクレームになってしまうということだろうか。
一つ一つの仕事に責任を持てと言われる。
リーダーは、私を育てることに責任を持っているのだろうか?
そう思えないから、言われることに納得がいかないのではなかろうか。
これは自分勝手な我が儘な言い分だろうか。

帰ってから選挙に行き、ゴマの世話をする。
考えてみたら、福島県知事の不正が話題になった時、それがどこの知事なのか知らなかった無知者である。
福島の新聞に「どこの」と書いてないのだから、それが当地なのは考えてみたら当たり前のことなのだが。

今日も夫は遅い。風邪もひどいようだ。
久しぶりに仕事の愚痴を聞いた。
前に愚痴ってくれた時には、つい「私も今日・・・」と自分の話をしてしまい、それ以上語ってくれなかった。
今日は大人しく聞いてみよう。
理不尽なことは、社会では当たり前のことだと夫は言った。
社内で理解されなくても、お客様の納得のいく仕事をしたいとも。
そんな話を聞いているうちに、私の抱えている問題なんて 小さいことだと思えた。
今日も男達は、(休日にも関わらず)世間の荒波に揉まれて頑張っているんだ。

母から、父が上海の支社を閉めるとメールで聞いていたので、電話してみる。
意外と父は元気そうだった。
入社したての頃の古馴染みに会いに行ったと言っていた。
世の妻はよく、「こんないい旦那さんで」と言われると、「いいえぇ。外面は良くても、家では××で・・」と言う。
けれども、そんな妻たちの中で 夫の苦労を本当に知っている人は少ないという。
訪ねた家でもそうだったそうである。
昔の苦労話をすると、「まさか、うちの人にそんなことが」とびっくりしていたそうだ。
たくさん飲んだけれども、だから ある意味行って良かったのだと父は言った。
体のことは聞かなかったけれども 大丈夫だろうか。
まぁ、呑ん平のヘビースモーカーに心配もへったくれもないが。
話し終わって、子供たちを寝かせた後 母からメールが入っていた。
> 電話有難う
> せっかく掛けてくれたのに 声聞けなくて残念でした!
> 又連絡します
「!」って・・(苦笑)。子供じゃないんだから。思わず笑ってしまった。(入浴中だったそうである。)
これでは、親離れできてないんだか 子離れできてないんだか分からないじゃないか。
まぁ、どちらでもあるのだけれど。
明日は休みだから、昼にゆっくりね、と電話しておいた。

このページを書く切っ掛けになったことの一つに、「ろば耳」というページの存在がある。
管理人はキリスト教徒であるらしいが、宗教宗派に関係なく どんなメールでも受け取って読んでくれるのだそうだ。
返事はない。ただ読んでくれる、それだけである。だから「王様の耳はロバの耳」の穴の役割なのだ。
このページを書き始めて10日になる。
誰かに愚痴らなくても、このページに書くだけで 自分の中のもやもやを吐き出すことができるようになってきた。
誰かに宛てて書いた文章ではない。読むのは自分。
それでも、少しは気持ちが落ち着いてきたような気がするのが不思議だ。
この世にはいろいろなことがある。明日なにが起こるかは分からない。
「役者魂」のひとみの真似をして思ってみた。

  2006/11/11(土) 月齢19.91
今日は土曜で休み。子供たちも休みである。
大抵子供たちは 金曜日に休日中の宿題をやり終えてしまうので暇である。
算数やエレクトーンをやらせる以外は遊んでいる。

最近、れいに「14才の母」を見せている。
ちょっと早い性教育。
しょーごは退屈らしく、すぐに飽きてどこかに行ってしまうが、れいは結構真剣に見てくれる。
元よりドラマ好きなのだ。
小さい頃から、れいとしょーごは お風呂も寝るのも一緒。
お互いの性器には 格別興味があるようだ。
お風呂はともかく、部屋で二人で裸になって遊んでいた時にはちょっとびっくりした。
れいは 結婚しないでしょーごと一緒に暮らすと言っている。
(一応、姉弟で結婚できないことは知っているらしい。)
真逆とは思うが、万が一ということもある。
親が思っているより 早く性に目覚めてしまう可能性は充分あると思った。
だから、子供のできる仕組みと、子供を作らない方法があることを 本当に ざっと 簡単に説明した。
そして、14才という若さで子供ができてしまうということはどういうことなのか
今は分からなくても 伝えておこうと思ったのである。
それを抜きにしても、良いドラマだと思った。
まぁ、留年した彼女や 担任の複雑な心境などは、聞かれても説明に困るのであるが。
今後の展開が楽しみである。

私は何やら過食に走る。とにかく食べる。目に付いたものをやたらと口に入れてしまう。
とうとう砂糖まで食べた。
いくらなんでも これでは太る。
気分が良くて酒を飲んで寝てしまった。いい身分である。
夕方慌てて 米をといだり風呂を燃したりゴマの世話をしたりした。
これではいつもと変わりない。つくづく時間の使い方が下手である。

義父と義母が飲みに出たので、子供たちとハンバーグを食べる。
明日は日曜日。絶対に遅刻できない。(いや、遅刻はいつも絶対にいけないのだが)
夫が帰る前に寝てしまった。

  2006/11/10(金) 月齢18.91
今日はお休み。
夫が帰ってきたので、朝のゴマの世話もお休み。

溜まっていた写真の整理をしようと思ったら、日付が2008年のものが大量に出てきた。
デジカメの調子が悪かった時に、よく日付がリセットされて設定し直していたから、その時に撮ったものだろう。
バッテリーが古くなっていたようだったので、最近取り替え 今は好調である。
ただし、日付をどうやって直したものか。
思案の末、PCの日付を変更し、JPGデータを上書きすることにした。
結構な量だったので大変だったが、無事終了。

撮っていたビデオを見る。
「役者魂」、結構良い。泣けてしまった。

れいは今日、九九の3の段を覚えた。

  2006/11/9(木) 月齢17.91
暗い。
なんて暗いんだ。
表紙にしろ、序文にしろ。
この心境の変化は、月のせいかも知れないが このページを始めたせいかも知れない。
だんだんと 自分の内と外とが整理されてきたように思う。
この2日、酒もほとんど飲んでいないし、死にたいとも思わない。
ただ ひたすら疲れる。

朝。
子供たちは食べるのが遅いので、大抵朝食は食パンだけである。
半年程前に 義母がパン焼きトースターを買ってくれた。
ワンタッチで 飛び出してくるのを待つだけ。簡単である。
れいが食べながら言った。「あ、今 パリッっていった。」
「はい。パリッと焼かせてもらってますんで。(温度調節するだけだから。)」
再びれいが言った。「そういう時はね、お母さん。グッ!(片手でガッツポーズ)って思わなきゃ。」
「グッ!ですかい?」
「そうそう。グッ!(片手でガッツポーズ)て。」
「そうかぁ。『やったぁ!パンがパリッて焼けたゾッ!グッ!(片手でガッツポーズ)』だね?」
「そうだよ。」
なるほどね、れい。あんたはすごいよ。
いつも私の心の一番弱いところを指摘してくれる。
そういう風に自分を褒めてやればいいんだね。
ありがとう。

夫出張から戻らないので、ゴマの世話をする。

いつも通り仕事に出る。
今日は12時からパートのSさんとのかぶり。
実は、Sさんとは ほとんどうまくいったことがない。
今日も2時間ほど会話がなかったが、それほど不機嫌ということもなかったようだ。
不定期なシフトで疲れているようだと Aさんも言っていた。
この前、仕事を手伝おうと割り込んだら もの凄く怒られたので、
なるべく邪魔にならないように離れて仕事をする。
Sさんの始めた仕事には割り込まないようにする。
最後の方で、ようやく話しかけてきてくれ 年賀状受付けについてのアドバイスをもらうことができた。

今日は、やっとしょーごの漢字を見ることができた。
明日テストだと言うので。
私は 勉強に対しては結構スパルタである。
れいも 昨年は泣きながら平仮名を練習をしたものである。
ご多分に漏れず、しょーごも泣きながらの漢字練習となった。
彼は よく「先生がこう言った・・かなぁ」とか言い訳をする。口から先に生まれてきたと 家族に言われる所以である。
文字の練習の時は、口を挟む事を一切許さないで ひたすら言った通りに書かせる。
だから、何度も同じ場所で失敗すると 悔しくて泣いてしまう。
ただ 結構飲み込みが早いらしく、割と早く形をまとめることができた。
それ以前に 数字や平仮名もひどいものだが・・・。追々やっていくしかあるまい。
しかし、れいの学校での算数の進み方は驚異的である。
ついこの間 かけ算が始まったと聞いたばかりなのだが、もう5の段までのプリントを持ち帰って来た。
本人は まだ2の段を暗記したばかりである。
クラスのみんなは ちゃんと付いて行けているのだろうか・・・。
自家製「く○ん式」は、タイムアタックが楽しくなってきたらしく、
とうとうれいは 1問1秒を出した。
しょーごも、一番簡単な足し算で1問2秒を出した。
やればできるじゃないか!
この調子で続けていこう。

バフォメットを描いて表紙に貼ってみた。
・・・・・山羊だってのに。
描いてる間は、牛だと思い込んでいたような気が・・・・・。
いや、どう見ても牛だ。牛。

  2006/11/8(水) 月齢16.91
今日は、しょーごが小遠足で弁当持ちである。少し早めに起きて準備する。
夫が急な出張に出たので、ゴマの世話もある。

いつも通り仕事に出る。
朝から客入りが良く忙しい。
ただ、困ったことに 今日は「入られて」しまった。
右手が思うように動かせない。字が書けない。
こういうことも、かなり久しぶりなような気がする。
背中が重くて 真っ直ぐに立っていられない時はあるが、
手が動かせなくなるまで深く入られることは稀である。
つまり、「いつでも自動書記!」状態である。
どうせ相手は弧狗狸(動物霊)か未浄化霊か何かだろうが。ろくなモノではない。
何とか引き剥がそうと努力はしてみるが、どうも仕太い。
仕事に集中しているので、剥がすことに集中できない。
最近憑かれ気味だから、彫り仏でも連れてくれば良かったと 本気で後悔する。
まぁ、リーダーが入れば 緊張して気にならなくなるだろう。

リーダーが入った。にっこり笑って元気よく挨拶してみた。
案の定、気が付いたら 右手は気にならなくなっていた。
今日はリーダー、少しばかり機嫌が良い模様。
いろいろと(怒らずに)教えてくれた。
年賀状やら喪中葉書やら。よく分からないものがいっぱいだ。
お客様が言いたいことをいち早く察知して行動するようにと言われたが、
分からないものは分からない。慣れて覚えていくしかないだろう。
こちらからの質問にも 丁寧に答えてくれた。
リーダーだって、年賀状のPOPや飾り付けやらソフトのインストールやら棚卸しやらで忙しかったのだし。
店長に何や可や言われて大変だろう。
余裕のない時もあって仕方ない。
質問するタイミングが悪かったのかも知れない。何にしろ、私はその辺が不得手なのである。
夜が忙しく、残業もあって大変だったらしい。
日曜日は9時開店。いつもより30分早く出なくてはならない。
遅刻歴のある私に、早い開店を任せてもらえるのはうれしいことだ。
絶対に信用を裏切るようなことになってはならないと思う。

それにしても市議選の選挙カーが五月蠅い。殆ど耳を劈く様な叫び声である。
名前を連呼しているだけなのだから、もっと音量を落としてくれないだろうか。
土地が広いので、音量で行動範囲をカバーしているつもりなのかも知れない。
五月蠅い奴には投票などしてやるものか 能なしどもめ。
・・・という人が増えてくれると助かる。

今日はほとんど酒を飲まずに済んだ。
月が欠け始めたせいか 少し体調はいいようだが、山のような洗濯物たたみとチビたちの宿題とで 夕方潰れてしまった。

  2006/11/7(火) 月齢15.91
昨日、今日と休みである。
久しぶりに休みらしい休みが取れた。
義父も家に居らず、撮り溜めていたドラマなどを見て過ごす。
今日は病院の日である。出遅れてしまった為、診察は昼になってしまった。
自分の最近の経過を整理してみる。
まず、仕事時間が増えた。
今までは2時までだったが、他のパートの人は3時まで働き、その後遅番の人が9時まで入る。
私は朝番のみのシフトで、土曜日は休みと 契約時に決めていた。
私が2時までだと、遅番の人は7時間労働となり、休憩を取らなければならないから、
4人のみの交代シフトなのに、かぶりシフトで 1日に3人入らなければならない。
これだと みんなの休みがなくなってしまう。
それに、私だけが2時までのシフトなので、誰かが都合が悪くなり 替わって欲しい時に、
私との交代だけはできないことになってしまうのだ。
たった1時間のために、そういう軋轢ができてしまうのは避けたかった。
3時まで入るためには、2時にやるレジの中締めを覚えなければならない。
リーダーは言った。
「金銭的な事情とかで、どうしても3時までやりたいと言うなら教えるけど。
 他の人の時間を考えて、とかいうのは違うと思うし、
 もし3時に伸びたからって、遅刻したり体調崩されても困るよ。」
2時までで3連続は大変だけど、3時まで働くのは可能です、と拝み倒した。
リーダーは、3連続は大変という言葉に難色を示していたが、結局中締めを教えてくれた。
中締めは楽しかった。
ただ、これには問題があった。
朝番の人は、2時に中締めをした後、3時過ぎに売上金を事務所に届けなければいけないのだ。
(うちは、ヨーカドー系列の店の中に入ったテナントである。)
だから、3時きっかりには帰れないのである。
15分にはタイムカードを押さなければならないものの、事務所が混んでいれば時間がかかってしまう。
買い物なんかしていたら、すぐに4時になってしまう。
5時過ぎにはゴマ(犬)の世話が待っている。
寒くなってきたから、風呂を燃すのに1時間近くかかるようになってきた。
帰ったら、すぐに風呂を沸かす。米をとぐ。お腹がすくから何か食べる。
子供たちは 帰ると二人で宿題をしているが、しょーごはすぐに終わって遊び始める。
れいは気が散って宿題に何時間もかかる。
二人分宿題をチェックする。一緒にやらないと分からない問題もある。
字の練習なんて、私がついていないと乱雑で大変な字を書いている。
その後、二人分の音読を聞く。例によってしょーごはすぐに終わるが、れいの音読はたくさんある。
れいのエレクトーンの練習も、まだまだついていてやらないとできない。
しょーごの宿題が少なすぎるので、一計を案じ、簡単な算数の問題をエクセルで作ってみた。
順番に並べた式の隣りに、乱数を設定する。(詳しくはヘルプを参照のこと)
乱数は、どこかのセルが更新される度に、ランダムに変化する。
その変化した乱数を元に並び替えると、毎日違う問題集が出現する。
この問題を、20問ずつのタイムアタックで 1日に100問解かせる。
簡単な問題なので、割と好んでやってくれる。自家製「く○ん式」みたいなものだ。
れいもやりたいと言ってきたので、それも作ってやった。
こういう数式を作る作業は私の得意分野で、作っている最中はいかにも楽しい。
ただ、また手間が増えてしまった。自分で自分の首を絞めている。
けれども、夏休みなんかは 全く勉強の世話ができなかったから、その頃の自己嫌悪に比べれば格段にマシである。
この間、学校での授業参観の期間に 個別懇談会があった。2者面談である。
その時にれいの担任の先生に相談したら、確かに宿題の量は多いけど、1時間で終わらない量ではないとのこと。
そのことをれいに話し、先生も話してくれた。
1時間で学校の宿題が全部終わらなければ、おやつなしだよ、と 物で吊ってもみた。
次の日から、れいは必死で宿題を始めた。
いつもなら しょーごと談笑しながらやるところを、
逆にしょーごに話しかけられると「うっさい!黙ってて!!」と怒鳴るほどである(笑)。 ←あ、笑いが出た。
それで、少し楽になった。
以前は、騒さいのがしんどかった。ともかく年子はうるさい。
仲がいいのは良いことだが、二人揃うと賑やかさが倍ではなく二乗になるのだ。
それが高じて、夕飯前にふらりと家を飛び出したこともあるほどだ。
義母はものすごく心配してくれて、話し合いの結果、
多分「音(声)」がだめなんだろう、ということになり、耳栓を新しい物に替えた。
それでも酒の量は一向に減らない。
勉強のことだけでなく、服やおもちゃを散らかしたり、翌日の学校の準備ができていなかったり、と
格闘は 夜子供たちが寝るまで続く。
忙しい。というより、根を詰めているのだろうか。
楽しみのドラマ(ビデオに撮って夜に見る)さえ見れなくなっていたから、それもストレスだった。
そんな話しを先生とした。
「忙しい」ということは「頑張れている」ということだから、昨年に比べたらずっといいのじゃないかと、先生は言った。
それでも死にたいとよく思う、と言うと、絶対にそんな馬鹿なことはするな と前置いて、
「別の方向で考えて、もっと自分を褒めてあげて」 と言われた。
自分を過小評価するのも、この病気の特色である。ということに、今さらながら気付いた今日である。
今はそんな気分ではないが、たまには自分のことを 少しは褒めてやらなければなるまい。
母は、あれだけ褒めてくれているのだから。

昔、一緒の保育所にいた友達のお母さんに言われた言葉。
「『夢を失うことよりも悲しいことは、自分を信じてあげられないこと(木星より)』、でしょ?」

家を飛び出した夜のこと。
義母は泣きながら言った。
「福島に来れば、病気なんか すぐによくなると思ってた。」
夫の弁当や、食事のことなんかで、義母には本当に世話になってるし感謝もしている、と言うと、
「私には それくらいしかできないから」 と、やはり泣きながら言った。
以前、父に言われたことがあった。
「あの肝っ玉母さんのことだから、お前のことなんかすぐに治してやるって思ってたと思うぞ。」
それは、過信とも言えるし、覚悟とも言える。
どちらにしろそれは、おっとりして見えて 実はプライドの高い義母にとって、
自分の力不足を認めるような辛い告白だったはずだ。
それを 気にし過ぎてはいけないものの、私はもっと このことを重く受け止めなければならないと思う。
大切にされている自分を、もっと大切にできること。そのことを目指さなくては。
  2006/11/5(日) 月齢13.91
いつも通り仕事に出る。
仕事をしている時は 大抵平常である。
ただ、混乱だけは怖いので、混乱し始めたらすぐに安定剤を飲むことにしている。
混乱が始まると、何をやっていいのか分からないだけでなく、記憶が飛ぶことがあるからだ。
そんなことになれば、仕事を続けていくことができない。
今飲んでいる薬は、3食後のレスリンとコンスタン。頓服の安定剤としてセロクエル(1日最大6錠まで)。
少し前までは毎日頭痛があったので、クリアミンも飲んでいた。
これは、血圧を上げる効果とカフェインとで、飲むとほんの少しだけ気分が昂揚する。
今日は大丈夫なようだ。
リーダーにはまた少し怒られたが、今日は努めて明るく堂々と振る舞ってみる。
おどおどした態度が、一番彼女をイライラさせていると思うからだ。
何日か前に、私の接客時の声が小さいと言われた。以前から2,3回言われてはいた。
ただ、「こんなこと、5回も6回も言わせないで!!!」と怒鳴られ、大きな溜息をつかれた時は落ち込んだ。
パートの中で私の次に新参の、同い年のAさんは、リーダーになんでも相談するように言ってくれた。
「Aさんや、もう一人のパートのSさんには仕事のことを色々聞くのに、何で自分には相談しないのか。
 自分は避けられているのか」と、リーダーがSさんに相談したのだそうである。
確かにリーダーにはあまり質問をしていないが、避けているのは顕らかにリーダーの方であるように思う。
仕事をしている時はムッとしていて、何か問いかけると不機嫌に答えるし、手が空くと 途端にどこかに出かけてしまう。
これでは取り付くシマもない。明らかに嫌われていると思う。
そもそも、A型同士で お互いに自分の欠点が相手に見えるあたりが不満になってしまうのだろう。
・・・というのは考えすぎだろうか。
まぁ、私は 怒られたり嫌われたりするのが極端に怖くて、途端におどおどしてしまうタチである。
夫に言わせてみれば、社会経験が浅すぎて そういうことに耐性がないのだそうだ。
言われてみればそうかも知れない。
褒められたい・気に入られたい・理解されたい、というのは 我が儘で傲慢なことなのだろう。
これも夫の言である。
リーダーは、店舗を任されてはいるものの、店長ではない。
だから、人を育てるという意識が低く、
故に私の欠点を訂正する度に、「何で自分がこんなことをしなければいけないんだ」と思っているのであろうと。
それはある意味 あっている気がした。
そう言われたら 少し気が楽になって、リーダーの顔色を窺うのを 少しだけやめることができた。
接客業である以上、リーダーのためにではなく、お客様のために仕事をしなければ意味がない。
・・・・・少しだけ気持ちの整理がついた。

洗濯物が片づかない。
洗っても洗っても、何故か減らないカゴの中の洗濯物達。
ヤケになって 全部洗った。
大変な量だった。
・・・・・さすがにたたむのは子供たちとやろう。
っていうか君たち。
溜めて溜めて、まとめてどさっと出すのはやめてくれ。頼むから。

  2006/11/4(土) 月齢12.91
小旅行。
自傷の傷は、バンソーコーを貼っていたら気付かれずに済んだ。
朝6時出発の予定が、義父が仕事で7時半まで戻れないと連絡があり、
その時間まで待ったが、帰ってくる気配がないので置いていくことにした。
そもそも、義父はあまり乗り気ではなかったようである。
実は、温泉行きの同行を求めたのは私の方だった。
日曜日は仕事なので なんとか土曜日に行けないか、と。
なぜなら、私は温泉に入ったことがなかったからである。
体調が心配だったが、行き帰りの車中で寝たせいか 気分が良かった。
もしかしたら、このページを書き始めた効用であるかも知れない。
猪苗代湖で散策し、土産物屋で喜多方ラーメンを試食。
しょーごがそのラーメンをひどく気に入って、2杯ももらって一言。
「僕、こんなにおいしいラーメン食べたの、初めて!」
義母もおいしかったね、と 一箱買ったら、
それをしょーごが 猫でも抱えるように大事そうに抱っこしていたのがおかしかった。
野口英世記念館は、なんだかちょっとだけ嫌な感じがして入らなかった。
何か古いものでもあるのだろう。

そこから檜原湖を西に周って、温泉とプールのある旅館に行った。
義母は温泉だけ、と別行動。私たち4人はプールに入った。
私はスイミングをやめてしまっていたので、久しぶりのプールはうれしかった。
ウォータースライダーという、絶叫系トンネルすべり台があって、
れいと夫、しょーごと私で二人ずつで滑った。
私は一人で悲鳴を上げていたが、案の定 絶叫マシーン好きなれいは、面白がって何回もすべっていた。
しょーごは2回ほどで懲りたらしく、その後は乗らなかった。
流れるプールや泡プールで子供たちと遊んだ後、100mだけ泳いだ。
その後、温泉へ。
私にとって初めての温泉である。れいとしょーごは夫と行ったことがあった。
岩風呂というのも、野外温泉というのも初めて。
温泉から見上げた秋の空は 抜けるように青かった。
なるほど 『ほんとうの空』だと、妙に納得した。

それから檜原湖を北に周って五色沼へ。
出発が遅れたせいもあり、プールでのんびりしたせいもあって、
五色沼に着いたのは夕方だった。
私は、この五色沼にも行ってみたかった。
高校の頃、クラスメイトが行ったという話を聞いていたからだ。
五色沼へは、駐車場に車を止めて 山道を歩いて散策する。
なるほど、見たこともない色の湖(沼?)である。
「毘沙門沼」が最大で、見事な青碧の それでいて透明度のある色をしていた。
れいがしきりにボートに乗りたがるが、他の沼も見てみたかったので先を急いだ。
しょーごは なぜか山道に強く、足下の悪い道を もの凄い速さで登って行く。
ほとんど走っているようなスピードで、大人の方が舌を巻く。
「赤沼」はよく分からなかったが、「みどろ沼」は 藻の色か、きれいな黄緑色だった。
日が暮れかけてきたので、「竜沼」で断念して引き返す。
案の定、駐車場に着いた時には真っ暗になっていた。
まだ5時。まさしく『秋の日は釣瓶落』である。
かなりの距離を歩いたつもりだったが、子供たちは不平ひとつ言わなかった。
さすがに帰りの車中で爆睡はしていたが。
9時帰宅。義父は、ストーブを灯けっ放しで飲みに出ていた。
いつものことながら、危ないのと燃料がもったいないのとで呆れ返る。
義父はタクシーの運転手で、休みが不定期である。
冬になると、休みの日はいつも大酒を呑み、ストーブを灯けてテレビをつけてコタツをつけながら
ドアを開け放って しかもコタツの外で爆睡している。
光熱費のことなんかお構いなしで ある意味腹が立つ。
まぁ、それはそれとして。
無事帰って 子供たちを寝かしつけたが、れいがアトピーが痒くて眠れない。
あれこれ試したが、今通っている皮膚科の薬はなくなっていたので どうにも痒みが取れない。
やっと昔使っていたステロイド剤を見つけて塗ると、今度は収まったようで やっと眠った。
しょーごはしょーごで、お腹が空いたとダダを捏ね、ふりかけご飯を食べさせて こちらもやっと眠った。
私も疲れていたのと 翌日の仕事に差し障るといけないのですぐに寝たが、
夜中に突然目が覚めて不安定になった。
死にたい。苦しい。嫌だ。助けて。
いつもと同じだ。
またもや酒と安定剤とを飲んでしばらく耐え、ようやく今日も終えることができた。

  2006/11/3(金・祝) 月齢11.91
母からのメール。
 「れいの手紙の中に入っていた写真 二人とも良い顔!
 子供らしい子供に、こんなにのびのびと育っている事。
 親として真剣に取り組んで来た賜物です。
 そのためには これからも まだまだ時間が掛かるのですもの、
 あれもこれも出来ないですから そこが苦しいところです。」

ただただ有り難くて涙が出た。
それでも、それを糧に生きていこうと考えることができないのである。
慕ってくれる子供たちがいて、心配してくれる主人がいて、思いやってくれる姑がいるのにである。

一昨日、とうとう自傷を始めてしまった。
今までは、そこまでの元気がなかった。まだ自制心があって、勇気がなかった。
突然頭がおかしくなった。
目眩とは違う。混乱とも少し違う。強いて言うならば、気が狂うような感覚というのが近いだろうか。
勢いで 二の腕の上あたりを切った。カッターでのかすり傷である。
それでも、見ればはっきり自傷と分かる。傷は3カ所。内出血もある。
明日は家族で温泉に行く予定である。さて、どう誤魔化したものか。
気が狂うという表現をしている割には、目立たない場所を狙っているあたりに計画性が感じられる。
たぶん、そこを切ろうと 今までずっと考えてきたからだ。
カッターを持っていると安心した。
『お前を傷つけてやるぞ』
そう脅せば、体は生きようとする。危険を感じて頭がすっとする。
ここにはビルがない。高い建物がない。
線路は近いが 電車が殆ど通らない。
死を感じる場所があまりにもない。
そもそも 死とはなんなのだろうか。
私のほしいものとは 一体なんなのだろうか  ・・・。

  序文
毎日、心の奥底に溜まったドドメ色の汚泥を 薬と酒で押し流して一日を終える。
毎晩、「死にたい」と思う心と格闘している。
いつもその理由を考えている。
だが その理由がいかにも曖昧である。
生活に疲れたと 通り一遍の説明を加えるならば、そんな人は掃いて捨てるほどいるだろう。
だから、死にたい理由というのがよく分からない。
強いて言うならば、この世にたった一人 殺してやりたい奴がいる。それが自分である。
自分がいなければ困る人がいる、悲しむ人がいる。
そんなことは頭では分かっているのだが 理性が追いつかないのだ。

1ヶ月ほども前のことだろうか。
神秘体験というほどのことではない。
心中に なんの雑念もなくなった。
晴れやかな気分だった。いや、あまりにも当たり前の気持ちだった。
この体こそが自分の体なのだと思った。いつもの自分は眩かしだと。
だが、それもすぐに終わった。
私の心の中に、何かが去来していたのだ。
前にも言ったが、私は無宗教である。
神道は好きだが、そこいらの神さまを感じるだけで、神社の言い分が好きなわけではない。
でも、前世やら来世やらといったスピリチュアルなことは好きであり、軽い憑依体質でもある。
私と数人の仲間との間に「共同幻想」がある。
共通の世界に前世を持つ という仲間たちである。
幻想であることは間違いないのだが、同じ夢を見たりする。だから「共同幻想」と定義する。
その世界に生きる自分や周囲の人々のことを垣間見て楽しむのである。
その自分が、稀にやってくることがある。本当に ごく稀にである。
たまたまそれが その日訪れたのだ。
だから思う。
鬱の底なし沼のような鬱蒼とした気持ちも、雲ひとつない晴れやかな気持ちも、
ただ 脳の作り出した眩かしに過ぎないのではないだろうか。
それこそ 私たちの体験している共同幻想のように・・・。

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